臨済宗保水山廣誠院 沿革

初祖:創設:開山

初祖再住 天龍峩山和尚大禅師(明治33年10月 1日遷化)
 橋本峩山(1853〜1900)
 号:息耕軒
 天龍寺238世管長
開山再住 天龍台岳和尚大禅師(大正11年 5月29日遷化)
 高木台岳
 号:蒼玉軒
 天龍寺239世管長
創建・開山 佛通益洲和尚大禅師(昭和36年12月31日遷化)
 号:吹毛軒
 天龍寺高木台岳に参禅し師家となり、後佛通寺派管長
 臨済宗十三派管長

名称とゆらい

 元貴族院議員で実業家であった廣瀬満正(みつまさ/まんせい)は、自身の京都河原町二条の邸宅で大正から昭和にかけて禅話会を中心とする「廣誠会」を主催していた。昭和3年に満正没後、妻歌子(歌江、う多)は私財を投じ昭和9年3月に「財団法人廣誠会」を組織し佛堂の建設を行った。昭和25年9月、財団法人解散と同時に「廣誠院」を創設、昭和27年6月6日宗教法人廣誠院(単立寺院)に改組した。山号の保水は、満正の父廣瀬宰平(満忠)の号で、寺院の名称廣誠院は満正の院号をとっている。

本尊および目的と教義

 この法人は、観世音菩薩を本尊として、臨済宗の教義をひろめ佛祖不伝の妙動を体解し、直指単伝の宗風を挙揚して広く世道人心を教導提撕 (ていせい・・・後進者を教え導くこと)し、人類の福祉に資するための儀式行事を行うことを目的とし、その目的を達成するための業務を行う。

仏間本尊
仏間屋根
初期の門

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